こころの思いを伝えたい

あなたの伝えたいこころの思いをいろんな角度から考えてみます。

【ブログ】 - 言葉は大事

話大きくなってるなぁ

20160607_01 今日は梅雨らしい天気になってますね。太陽が出てないと空気もひんやり。体調気を付けましょう!

さて本題です。

昨日の夕方のニュース、夜のニュース、そして、今日の朝からのワイドショーは、昨日の都知事の調査報告についてにぎわっています。法律はわかりませんが、疑惑のある人から聞いた話とその周りにいる関係者に話を聞いて一致しているので事実認定しました。といっていますが。。。もし、同じことが刑事事件でおこなわれていたとしたら、えん罪がどれだけあるんだろうと恐怖を覚えてしまいます。。。

起訴されたら99.9%は有罪といわれているそうですが、この数字も作られたものなんじゃないでしょうか。 予想はしていましたが、がっかりです。

そもそもこの問題は何が問題だったのでしょうか。 人によって違うでしょうが、私が思うのは、自分の言葉で答えなかったからじゃないかと思っています。私見ですが、政治家は言葉で訴えるもの、作家も言葉をつかって訴えます。同じ言葉ですが、政治家はしゃべりで、作家は文字で言葉を伝えます。都知事は政治家ではないなぁと感じます。じゃあ、作家かというとそうでもない。しゃべりにしろ、文字にしろ自身の思いを自身の言葉で伝えられないのが、問題なんじゃないかと思います。

まあ、謝罪しかない状況なんで、自身の言葉といっても謝罪しかないんですが、それすら放棄してしまった、言葉で伝えることを放棄してしまったのはまずかったなぁと思います。

「第三者の厳しい目で」「私は信頼を失っているので」これらはいいかえると「誰かうまく伝えてくれ」といっているようなもの。まずは、自分の思いを自分の言葉で伝えて、そのうえで第三者に調査ということであれば、お互いに無駄な時間を過ごすこともなかったでしょう。

肝心の都知事の思いを聞けないまま第三者に調査を依頼しますって言われたら、疑惑を抱えている側は、そこで思考が停滞してしまいます。さらに、さまざまな妄想を始めます。当初は「そんなことないよな」と打ち消せたものが時間が経つにつれ悪いほうへ加速していきます。1対Nなのですべての質問にこたえるのは不可能かもしれませんが、それならネットを活用するなどできたと思います。

やめないことが前提のデキレースのようなので、そうそうに無駄な時間を過ごすのはやめて、謝罪しておいたほうがいいかもしれません。

言葉で伝えるとは

20160607_02 言葉で伝えるといえば、こんなことを思いだします。 高校時代、甲子園を目指して練習するなかで、当時の監督に言われた言葉。甲子園の大観衆の中じゃ声なんて聞こえない、ジェスチャーで表現しろと。そこで、ふと思ったのですが、野球の中で声を出さなきゃならないのは、長打を打たれた時と野手の間のフライくらいじゃないかと思います。裏を返すとあとは声出さなくてもプレーできるということです。

今の野球理論に声を出すことがあるのかどうかわかりませんが、当時は、すべての動きに声を出せといわれていました。ショートゴロならショート、レフトフライならレフトと。でも、実はこの声かけあまり意味はありません。なぜなら、打球が飛んだ野手は来ていることを認識しているでしょうから。

しかし、長打を打たれたときは、打球を追いかけている野手にどこへ投げるかを伝えなければならず、野手の間のフライは衝突防止のため、任せるのか自分が取るのか、周りはどっちが取るのかを伝えなければならないため声が必要になります。

思い返してほしいのですが、ご自身のチームはそういう指示がしっかり出せていますか? この指示の声は思っているほど簡単なことではないんですね。瞬時に判断することも大事ですし、明確に伝えることもしなければなりません。そういう訓練をしていれば別ですが、やってないと意外とできないもんなんです。。。

今になって思うと、当時声を出せといわれていたのはそういう訓練をしていたからなんだろうなぁと感じています。

言葉は、発するだけじゃなく、書いても伝えることができます。言葉で伝えるためにはその訓練も必要。言葉を生業にするならなおさら訓練しておきたいものです。